【三国志】イケメンでお馴染みの「周瑜」、実は正史にも演義にも「美周郎」という記述は一切無し。「美周郎」の名付け親は意外な人物…

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1 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:44:05.20 ID:gjJBc8EA0

諸葛孔明のライバルとして有名な周瑜は、一度も「美周郎」とは呼ばれていなかった?

三国志を題材にした映画『レッドクリフ』(2008年)で、実質的な主人公として描かれた周瑜(しゅうゆ/175~210年)。
赤壁(せきへき)の戦いを勝利に導いた孫権(そんけん)軍の指揮官で、音楽にも精通した文化人だ。
容姿端麗ともいわれ「美周郎」と呼び親しむ人も多い。ところが、そのあだ名やイメージは最初からあったものではなかった。
今回はなぜ、それらがファンの間に定着したのかを解説したい。

「容貌が立派」ではあるが「美」とは描かれていなかった

 正史でも、物語『三国志演義』でも、周瑜のデビューは実に華麗だ。名門・周家の御曹司(おんぞうし)である彼は、
義兄の孫策(そんさく)が旗揚げしたと聞くや、兵を率いて颯爽と馳せ参じる。
2人は幼なじみで、断金(だんきん=金属も断ち切る)の交わりを結んだ仲だった。
のちに江東地方の美人姉妹、大喬(だいきょう)を孫策が、小喬(しょうきょう)を周瑜が妻に迎え、本当の義兄弟にまでなる。

 周瑜は義兄・孫策の期待に応えて軍才を発揮し、孫策の勢力拡大に貢献する。
正史では「瑜長壮有姿貌」(長じて立派な容貌になった)と周瑜の容貌を記し、呉の人々はみな彼を「周郎」と呼び称えたとも書き添える。

 さらには、周瑜は音楽に精通していたとも紹介される。「演奏に間違いがあると周郎が振り向くぞ」と噂されたエピソードは「演義」にも流用される。
まさしく完全無欠のイケメンを連想させるが、注意したいのは「美」とは一言も書かれていないことだ。

 正史の表記では「容貌が立派な周郎」であって「美周郎」ではない。
固定概念で、ついそう思いたくなるが、少なくとも生前に「美周郎」と呼ばれたことはなかったのではないか。

 1000年後に成立した小説『三国志演義』ではどうか。第15回で周瑜が旗揚げした孫策のもとへやってくるのは史実どおりで、
そこに「姿質風流、儀容秀麗」(風流で秀麗)と彼の容貌が紹介される。
「三国志」の物語が語り継がれるなかで、周瑜はすっかり「イケメン」化していったに違いない。

「演義」の周瑜といえば、激怒のあまり吐血するシーンもあるなど、いつも諸葛亮にやり込められる損な役回りだ。
その一方で、デビューしたばかりの諸葛亮の「好敵手」にふさわしい風采(ふうさい)と才覚(さいかく)を併せ持っている。
「悔しさに顔をゆがめるイケメン」扱いなのは救いといえようか。

 ただし、ここでも「美周郎」のあだ名は出てこない。中国発の「演義」には美周郎は無いことは覚えておきたい。

 そして『三国志演義』は江戸時代の日本に入ってきた。しかし、それを読んだ日本人の画家は、どうやら周瑜を色男とは捉えなかったようだ。

 当時、大流行した『絵本通俗三国志』の挿絵に描かれた周瑜の姿は、美周郎どころかヒゲ面で厳めしい。
同じヒゲ面でも、どこか飄々とした雰囲気がある諸葛孔明(しょかつこうめい)とは対照的だ。
もっとも、同書ではほとんどの人物が同じような姿に描かれ、名前がなければ見分けがつかない。
三国志に限らず当時の軍記物の絵は似たようなものだ。

 では、周瑜を容姿端麗に描いたのは誰か。これほど広まっている「美周郎」の名付け親は誰なのか。

https://www.rekishijin.com/25236

2 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:44:28.93 ID:gjJBc8EA0
それは吉川英治(よしかわえいじ)である。吉川は自著『三国志』(1939~1943年)の中で「姿風秀麗、面は美玉のごとく……」と書いたほか
「呉の人はこの年少紅顔の将軍を、軍中の美周郎と呼んだり、周郎周郎と持てはやしたりしたものだった。」と記している。

 言葉とは面白い。正史や演義にあった「周郎」に「美」の一字を付け加えただけで、かくも受け取り方が変化してしまう。
しかも「美周郎」の呼び方は、作中にその1回しか登場しないのだ。
当の吉川も、自分のアレンジが後世に多大な影響を与えようとは思わなかったのではないか。

 吉川の原作を漫画化した、横山光輝(よこやまみつてる)『三国志』(1971~1987年)では、周瑜は身なりがよく立派な風采に描かれているが、
イケメン度合いはそうでもない。ドジョウ髭がトレードマークのためか、曹操や諸葛亮(しょかつりょう)には及ばないようにも感じる。

 むしろ、ビジュアルで周瑜のイメージを決定づけたのはNHK『人形劇 三国志』(1982~1984年)の生みの親・川本喜八郎(かわもときはちろう)であろう。
今回、冒頭の画像でも紹介しているが、色白に切れ長の目、勇ましくも神経質そうな面持ちが「演義」の周瑜像に、まさにピッタリはまっていた。

 これは趙雲(ちょううん)も同様で、それまで肉づきの良い猛将として描かれがちだった彼のイメージを、変える契機にもなったように思う。

 もっとも、中国においても中華民国時代の連環画(イラスト)では髭のない美男子に描かれ、京劇でも周瑜役は美形の俳優が演じるのが定番だ。
そうした本場の事情は、中国事情に詳しい吉川英治と川本喜八郎も見聞し、理解していたのかもしれない。

 ともあれ2人の巨匠の表現が、その後に日本で生み出されたゲームや漫画に相当な影響を及ぼしたことは間違いない。
まさに「美周郎」は、それを象徴する表現といえよう。

3 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:45:35.24 ID:M9Tuipau0
まーた司馬遼太郎(笑)のとんでも歴史観か
4 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:45:53.79 ID:m5xQed4K0
ロリコン無双
5 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:46:32.82 ID:QufX5cKI0
面白いね
吉川英治からなんか
6 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:48:01.73 ID:RqX8zP1bp
吉川みたいなノータリンの嘘鵜呑みにするんだもんなぁ戦後の白痴バカのぬけ作は
当時読んでた層ですらあくまで大衆娯楽小説を読んでる自覚あるのに穢多非人以下の知性だよねこれ
7 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:48:14.34 ID:FORbCZhB0
何でもかんでも美形化するのは女体化するのと同じだよな!
8 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:48:16.86 ID:mMr8Hdoq0
張コウを3回死なせた吉川英治
9 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:48:27.92 ID:ksOM3l1T0
袁尚と曹叡はイケメンだった
周瑜は風貌が立派くらいのことは書かれてたと思う
10 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:48:41.99 ID:3sRrxEZl0
立派な風貌ってんならイケメンじゃないの
11 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:48:54.45 ID:PbNb9fXF0
美女で劉さんを骨抜きにしようと考えたのはほんとの話
だがその策は拒否された
12 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:49:08.30 ID:7zaAkiDW0
もしかして美髯公も?
13 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:49:25.21 ID:QufX5cKI0
趙雲もイケメン扱いされてるけどあれは史実なんやろか
14 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:52:38.25 ID:ksOM3l1T0
正史の趙雲は何も書いてなかったような気がする
演義の趙雲は顔が大きく目がぱっちりで眉毛が太く二重アゴだと書かれている
15 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:53:53.82 ID:CmedFquW0
諸葛亮と周瑜なら周瑜のほうがおじさんだったんだな
周瑜のほうが若いイメージだわ
16 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:54:02.52 ID:BfXUzbKQ0
最後に中国本国でも美男子に描かれていたから吉川英治が参考にしたんだろうと書いているじゃん
18 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:56:24.59 ID:3vvVcppN0
基本的におかしなことになったのはきっかわさんのせい
それを盤石にしちゃったのが肥で、内容が三国志演義なのに三国志で商標取らせたわーくににも問題がある
以降間違いやおかしさを指摘するにも商標取られてるから誰も正しい三国志を伝えられなかった
19 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:57:00.10 ID:ksOM3l1T0
立派な風貌みたいなのはたぶんある程度太って貫禄があったみたいな感じかな?
23 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:59:07.18 ID:BfXUzbKQ0
>>19
『もっとも、中国においても中華民国時代の連環画(イラスト)では髭のない美男子に描かれ、京劇でも周瑜役は美形の俳優が演じるのが定番だ。
そうした本場の事情は、中国事情に詳しい吉川英治と川本喜八郎も見聞し、理解していたのかもしれない。』

だそうだから中国でも美男子、美形と解釈されるような言葉なのでは

21 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/04(土) 23:58:35.00 ID:3vvVcppN0
ちなみに三国志正史において一番のイケメンは荀彧
これも歪められてねずみっぽく描かれていたりする
24 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/05(日) 00:00:13.23 ID:EM1wTF600
三国志一のイケメンはジュンイクっていうイメージだな
というかやはり2000年前でもイケメンや美女がちやほやされるのは変わりないのは面白い
25 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/05(日) 00:00:21.11 ID:INlNZJJV0
イケメンなら袁尚と曹叡みたいな書き方をすると思う
26 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/05(日) 00:00:59.58 ID:mIdk8BP20
というかあの辺りで三国志の演目をやるときに、主役の担当する有名人が周瑜くらいしかいないんだよ
それが逆説的に周瑜美人説に繋がってる。南部人の役者は美形が人気だから
27 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/05(日) 00:02:13.11 ID:Cix0Rq5i0
郎って付くと大抵美男子または恋人をそう呼ぶから間違っては無いんちゃう
昔は親しみを込めた感じが強いんかもしれんが
28 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/05(日) 00:02:22.11 ID:Dnp60bmF0
人形劇の周瑜はそんな印象に残ってないなぁ
やっぱり孔明に強いコンプレックスを持っていて
勝ったと思ったのに結局掌の上だっショックで吐血して死ぬ方がイメージ強いわ
30 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/05(日) 00:08:39.97 ID:RzoxvpXAa
ウリナラファンタジーの宗主国だもんな
31 名前:ここからは表現の自由でイカせていただきます 投稿日時:2023/02/05(日) 00:10:14.32 ID:rl7LHYOR0
実際のとこ仲達と比べてどうなの

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